矢野先生、お疲れさまでした! スタッフ関連 Twitter Facebook はてブ Pocket LINE コピー 2021.04.18 旅立ちの春。 4月16日、救急科部長、矢野賢一先生が最後のフライトを終えました。 以下、矢野先生の思いがいっぱいつまった言葉。じっくり読んでいただけると嬉しいです。 皆さま、救急科の矢野です。初めての投稿で最後の投稿になります。私、矢野は15年在籍させていただいた聖隷三方原・救急を卒業させていただくこととなりました。15年前、浜松医療センターから何ともな前評判(?)とともに移動してきましたが、すぐに受け入れてくれたみんなに感謝です。とは言っても、前評判があったと知ったのはずいぶん後のことでしたが。。15年前は、静岡県西部に救急ばかりでなく、ドクターヘリですらまだ創成期の様相でした。15年半前に早川先生が着任し、その後、スタッフが急速に増え15年前から7名の救急科専従医で三方原救急がスタートしました。みんな若く(早川先生ですら30代でしたから)、手探りのなかで活動範囲、守備範囲を広げてきました。若気の至り(30代でもなかなか大人になれない集団だったのかも、特に私)で周囲・内部には多くの摩擦、ご迷惑をおかけしましたが、みなさんの温かいご協力ものもと、どうにか1次(軽症)から3次(重症)まで受け入れ、対応し、入院加療までできる救急科が出来てきました。『重症を知らなければ、軽症は診れず、軽症を知らなければ、重症も診れず。 ERを知らなければICU・病棟もできず、ICU・病棟を知らなければ、ERも出来ず』このモットーは三方原の文化として根付いたように思えます。私自身で振り返ってみれば、救急の神様やヘリの神様には愛されていたように思えます。特にヘリの神様にはずいぶんよくしていただきました。多くの特異な症例を選んで私に与えてくれたと思いますし、私の実力以上の結果を与えてくれました。先日、我が事務の方が調べてくれましたが、これまでに1165回のヘリ出動をさせていただきました。時はすぎ、認めたくはないけど、自分の体力の衰えを感じるようになりました、特に夜間帯。。。でもまだまだ仕事はしたい。若手には負けたくない。その思いから次のステージに移ることを考え始めました。これまで急性期医療にはいい思いをたくさんいただきました。医師生活の残り3分の1は急性期医療に恩返しをしたいと思い、開業しようと決断いたしました。脳神経外科と救急科を両輪にできる新しいスタイルのクリニックを構築したいと思います。15年間、一緒に働いてくれた救急科の仲間、ここから旅立っていった仲間、研修医をはじめ若手のみんな、救急科にとても協力的であった各科の皆様、多方面においてほんとうに助けていただいた看護師のみんな、我々の仕事をサポートしていただいた事務の方々、本当に感謝です。そしてヘリの運航だけでなく、三方原救急医療の仲間として、プライベートでも仲良くしてくれた中日本航空会社の方々、ありがとうございます。さらに何度も厳しい口調や態度で接したにも関わらず三方原救急に協力的であった消防の方々、浜松消防、湖西消防、掛川消防、磐田消防、菊川消防、袋井消防、島田・川根消防、御前崎消防、牧之原消防、新城消防、藤枝消防、本当にありがとうございました。これからも三方原救急をよろしくお願いいたします。みなさん、三方原救急の今後のご活躍、ご発展をこころから応援、お祈りしています。最後にちょっと宣伝。。浜松市西区雄踏町に『やの脳神経外科・救急科クリニック』を7月に開院いたします。救急車や担送患者を受け入れる設備も整えています。よろしくお願いいたします。https://www.yano-neurosurgery.com 最後の勤務日、救命センター・外来スタッフの皆さん、研修医のみんな、放射線技師さんたち、中日本航空のクルーの方たち、事務の方々、めっちゃ多くの方々が集まってくれました。これが一番のプレゼントであり、宝物になったのではないかなと思います。 矢野先生、お疲れさまでした!開院したら、保険証持ってクリニックにお邪魔(受診)しますね~!! (写真撮影の時だけ、マスクをはずしています) 救急科 まろきち